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セキュリティ人材教育「1万時間の壁」|「高度セキュリティ専門エンジニア」を待つより組織の仕組みを磨くべき理由

インターネット上ではよく「社員が飽きないような、面白いセキュリティ教育を」という言葉を目にします。しかし、私の経験から言わせていただければ、教育にエンターテインメント性は一切不要です。教育とは社員を楽しませるものではなく、組織の一員としての責務を伝え、違反時の処分を明確にすることで抑止力を生むためのものだからです。

「教育をしたのに、また怪しいメールの添付ファイルを開いた社員がいる」と嘆く必要もありません。これは「交通事故をゼロにせよ」と言っているのと同じで、人間が介在する以上、ミスを完全になくすことは不可能です。教育の本当の目的は、個人の完璧を求めることではなく、組織全体の傾向をデータとして計測することにあります。

訓練を繰り返し、添付ファイルの開封率が一定の割合に収束しているか、あるいはゼロの方向に向かっているかを確認する。この「計測」こそが、組織の成熟度を測る指標となるわけです。もし傾向が改善されないのであれば、訓練の難易度を調整し、集団として管理可能な範囲に収める工夫が求められます。

そもそも、社員を学校の生徒のように扱い、動画や疑似体験に頼りすぎるのは、組織として未成熟だと言わざるを得ません。それよりも、サンドボックスを活用したファイルの無効化やAIによる検知など、技術的な仕組みによって「人間がミスをしても致命傷にならない環境」を整える方が、はるかに現実的なアプローチと言えるでしょう。

この記事では、日本企業の約9割が直視する深刻なセキュリティ人材不足と、その打開策となる「組織防御」への転換について解説します。

本記事の著者

S.R(セキュリティ・コンサルタント)

証券システムの開発統括を経て、大手ネット証券にてシステム開発部長を歴任。2016年より同社にてセキュリティ部門を単独で立ち上げ、700名規模の組織におけるCSIRT導入と運用を主導しました。金融ISACでは脆弱性WG初代座長を務めるなど業界連携にも尽力しています。

現在では、証券・FX・流通業界等の企業に対し、CSIRT構築、金融庁ヒアリング対応、FISC導入支援などのコンサルティングに従事。インハウスでの組織立ち上げ経験と、外部専門家としての支援実績の双方から、実効性のあるセキュリティ体制構築を提案しています。

サイバー攻撃のトレンドは日々変化します。MPSのメールマガジン「セキュリティレポート」では、金融ITの最前線で分析した「今、現場が警戒すべき最新事例」を定期的に配信。他社の教訓を、貴社の運用設計に活かしてください。

目次

「年収1000万円」の採用戦線で全敗する私たちが直視すべき鏡

中途採用市場で「年収1000万円を提示しても、ふさわしい人材が一人も来ない」と嘆く声をよく耳にします。しかし、厳しい言い方をすれば、「中途採用で良い人が採れるはずがない」と諦めるのは、実は「自社には優秀な人を迎え入れる準備ができていない」と自白しているようなものです。

本当のプロは、提示される年収の高さだけを見て動くわけではありません。その組織に明確なビジョンがあり、自分の力が具体的にどう活かされるのかという「プロジェクトの熱量」を、冷静に見極めているのです。

採用を成功させるために必要なのは、単なる予算の積み上げではなく、経営方針としての「要員計画」と、それに紐づく具体的な「プロジェクト」の提示です。これらが欠けた状態で「救世主」を招き入れても、宝の持ち腐れになるのは目に見えています。もし、熱意を持って募集をかけても人が集まらないのであれば、それは採用市場のせいではなく、自社の戦略や募集条件の具体性に欠陥があると考えなければなりません。

例えば、1000万円クラスの人材を本気で求めるのであれば、以下のような具体性が必要です。

  • スキルセットの明確化:CISSPなどの高度な資格保持や、ネットワークスペシャリストとしての深い実務経験など、求める要件を曖昧にしない。
  • 役割の定義:開発エンジニアと、組織を守るための専門職としての役割を厳密に切り分ける。
  • 即戦力の再定義:単に「インシデントを止める人」という不可能な定義を捨て、事後の分析や対策プロセスを構築できる能力を重視する。

つまり、採用がうまくいかない原因は、候補者側の能力不足にあるのではなく、受け入れ側である「自分たち」の準備不足にあるということです。即戦力の定義を曖昧にしたまま「誰かいい人を」と願っているうちは、いつまでも「ブラックボックス」を解消できる人材には巡り会えないわけです。

名ばかりお飾りCISOを終わらせる「監査と法務」のカード

「CISO(最高情報セキュリティ責任者)を設置すれば、すべてが解決する」と信じている経営者は、おそらくCISOを設置することはないでしょう。形式上は情報システム部長がその役職を兼務しているケースが多いですが、経営への発言権や予算の決定権がなければ、それはただの「お飾り」に過ぎないわけです。この形骸化した体制を突破するために、私が提案したいのは、監査や法務といった「守りの専門家」の視点を取り入れることです

経営層が真に恐れているのは、技術的な不備そのものではなく、インシデントが発生した際の「管理監督者責任」を問われることです。具体的には、監督官庁による改善命令、株主代表訴訟、さらには顧客への巨額な損害賠償リスクなどが挙げられます。セキュリティ対策の不備は、もはや技術的なミスではなく、経営者としての責任を果たしていないという「監査上の指摘事項」になり得るということです。

経営者はセキュリティの細部を理解する必要はありません。重要なのは、CISOに対して明確な権限と改革計画の実施の指示を行い、適切な報告と、経営が承認するプロセスを構築することです。この指示の出し先こそがCISOであり、この構造ができて初めて、セキュリティは現場の悩みから「経営の重要事項」へと昇華されるわけです。

「資格マニア」と「実務家」を分かつ1万時間の壁の越え方

「資格を持っていれば安心だ」と考えるのは、残念ながら大きな間違いです。たしかに、CISSPやSANSといった高度な資格は、一定の知識レベルを証明する指標にはなるでしょう。しかし、実務で本当に役立つのは、知識の量ではなく「インシデントが起きた後に、どう動けるか」という判断力にあるわけです。

そもそも、世の中に「インシデントを完全に止められる人材」など存在しません。どのような高度なスキルを持っていても、攻撃の手口は常に進化し続けているからです。真の専門家とは、防げなかった事態に対して冷静にリスクを分析し、再発防止のプロセスを構築できる人のことだと考えます。

こうした専門エンジニアを育てるには、一般的に「1万時間(約5年)」の経験が必要だと言われています。特定の人材や部署にこれほどのコストを投資すること自体、リターンへの期待値が不確実で現実的ではありません。だからこそ、私たちは以下の3つの視点で「判断力」の砦を築く必要があります。

1.役割の明確な分類

「セキュリティ管理」「ソフトウェア分析」「インフラ構築」という3つの専門領域を理解し、それぞれに必要な経験年数を正しく見積もることです。管理には5年、開発には10年の経験が必要とされるなど、プロへの道は一朝一夕ではありません。

2.実戦的な演習の導入

組織の成熟度に従った実践演習を継続的に実施することも有効です。たとえば、攻撃側(Redチーム)と防御側(Blueチーム)に分かれ、ファイル不正持ち出し検知などの簡単なシナリオ演習から、サーバー乗っ取りなど、複雑で高度な攻撃が発生したと仮定し、報告プロセスと実施内容の確認を行うなどです。

具体的な攻撃側の手口と、防御側の検知シナリオを体験することが重要です。実際に「組織の対応プロセスを確認する」経験こそが、資格以上の価値を生むわけです。

3.専門性の最小化と標準化

高度な専門知識がなくても日常の運用が回るように、プロセスを徹底的に標準化し、専門家の関与を最小限に抑えることです。人間は、AIやシステムでは代替できない「最終的な意思決定」にのみ集中できる環境を作らなければなりません。

特定の「高度セキュリティ専門エンジニア」に依存する脆さを捨て、標準化された仕組みといざという時の判断力をセットで用意する。これが、1万時間の壁を組織として乗り越えるための、唯一の突破策になるのです。

まとめ:「高度セキュリティ専門エンジニア」を待つ時間を、組織の「判断力」を磨く時間に変える

私たちが直視すべきなのは、日本全体で11万人ものセキュリティ人材が不足しているという、逃げ場のない現実です。そして、プロを育てるには「1万時間」もの歳月が必要であるという、残酷なまでの時間の壁でもあります。

救世主のような人材を中途採用で連れてくることを夢見て時間を浪費するのは、もうやめにしましょう。優秀な人材が来ないのは市場のせいではなく、受け入れる側の私たちの「戦略」と「熱量」が不足しているからなのです。

「中途採用に期待するな」という言葉は、自社の未来を誰かに丸投げするのをやめ、自らの足で立つ覚悟を持てという、実務家としてのエールでもあるわけです。

私たちが目指すべきは、完璧な人間による防衛ではなく、標準化と自動化を組み合わせた「高度な知識がなくても回る組織」です。教育をエンタメではなく「集団の意識を測る計測器」として使い、AIやサンドボックスといった仕組みによって人間のミスを無効化する。

そして、CISOが法務や監査を味方につけ、経営責任という土俵で予算と権限を勝ち取っていく。 このようにして、自社に「最後の判断力」だけを残す砦を築くことこそが、ブラックボックスの恐怖から脱却する唯一の方法なのです。

もし、その砦をどう設計すべきか迷っているのであれば、まずは自社の業務を「専門家でなくても運用できるレベル」にまで分解することから始めてみてください。

私たちマネーパートナーズソリューションズ(MPS)は、20年以上にわたり、一秒の停止も許されない金融システムの最前線で戦ってきました。そこで培ったのは、属人性を排した徹底的な標準化と、堅牢な自動化の技術です。

「誰か」に頼る脆さを捨て、技術を社会の基盤として実装したいと願うあなたの挑戦を、私たちは全力で支えたいと考えています。

あなたの組織が、救世主を待つ場所ではなく、自らの意思で未来を判断できる場所になるために。 共に、止まらないサービスを創り上げていきましょう。

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